「てんきや」コラム

#14: 東海、南海、東南海

ずいぶん久しぶりの更新になってしまいました。それもこれもBフレッツがなかなか開通しないのが悪いのですが、ここで愚痴っても仕方ないので今回は本を片手に書いてみました。

今回は気象の話から少し外れて、地震の話です。地震の予知といえば非常に難しい…というか現実的には不可能なわけですが、唯一「東海地震」だけは予知が可能ということになっています。また最近では「南海地震」や「東南海地震」も危ない、というようなことが言われています。このトーカイとかナンカイとかいうのは何かい、というのが今回のオハナシです。

東海・東南海・南海地震の大まかな区分
駿河湾沖で発生するのが東海地震、紀伊半島沖で発生するのが東南海地震、四国沖で発生するのが南海地震。
結論から言ってしまうと、いずれも西日本の太平洋沿岸を震源とする大規模な地震のことです。このうち東のほうで起きるのが東海地震、西のほうで起きるのが西海…ではなくて南海地震、そして真ん中で起きるのが東南海地震、というわけです。

この一帯は、日本列島が乗っかっているユーラシアプレートに対して太平洋側からフィリピン海プレートが沈み込みながら移動しているため、このプレートの境界部で大きな地震が発生すると考えられています。そしてこの地域で発生する地震の特徴としては次のようなことがあげられます。

  • 史料に残っているだけでも、7世紀以来9回の大地震がこの一帯で発生している。
  • これらの大地震は、約100年〜200年間隔で発生している。
  • これらの大地震は、この地帯の東側と西側で2つの地震がほぼ同時期に発生している。
  • 最近の例では、
  • 江戸時代の1707年に、東海道〜紀伊半島に被害を及ぼした「宝永地震」が発生。遠州灘と紀伊半島沖で2つの地震がほぼ同時に発生したと考えられている。
  • それから147年後の1854年に、まず関東〜近畿に被害を及ぼした「安政東海地震」が発生。その32時間後に、中部〜九州に被害を及ぼした「安政南海地震」が発生。
  • それから90年後の1944年、まず東海地方に被害を及ぼした「東南海地震」が発生。2年後の1946年に、中部〜西日本に被害を及ぼした「南海地震」が発生。
  • というように、前述の特徴を反映しています。

    1940年代に発生した地震では、東海地震の震源域とされている駿河湾付近では地殻変動が発生しませんでした。このため、本来であれば地震によって発散されるはずだったエネルギーが蓄積され続けているのではないか言われています。東南海/南海地震の震源域にとっては100〜200年という周期はまだ先の話ですが、東海地震の震源域にとっては前回揺れたのは150年前なので、いつ地震が起きてもおかしくない…という考えのもとで、1970年代から東海地震に対する備えが進められてきたわけです。が、いつまでたっても東海地震が起きないうちに(起きないほうが良いのですが)、そろそろ南海/東南海もヤバいんとちゃうん…という雰囲気になってきたのがここ1、2年の状況と言えるでしょう。

    もっとも「100〜200年周期で発生する」という仮定自体がたかだか1300年程度のデータを基にしているわけで、次の地震でも成り立つかどうかは起きてみないと分かりません。気象予報士は地震の予報はできませんので、難しいことは専門家に任せて、ひとまず身の回りでできること――とりあえずどこに身を隠すか、それから何を持ってどこに逃げるか、誰に連絡するか、etc.――を考えておくのが手っ取り早い防災なのではないかと、9月1日を前に思ってみたりするわけです。

    参考文献:「地震の教室 」神沼克伊著 古今書院 ISBN:4-7722-3028-9

    (2003/8/18)
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