ねむることはしあわせなことだ。ということで今回はあえてねむるしあわせに順位をつけてみようとおもう。なんでいきなりそんなことをするかというとコラムを書けと脅迫されているからであって、人聞きが悪いから脅迫というかオネガイというかとにかくそうだから順位をつけるのである。余りイミはないということだ。
まずいちばんしあわせなのはだいすきなひとのとなりでねむること。つぎはうちのみゅう(スコティッシュフォールド、メス、10ヶ月)とねむること。そいでもって次の日はめざましどおりに起きなくてもいいとわかっていてからねむること。そんなかんじ。しあわせに理由なんていらないから理由はかかない。
しあわせじゃないのは試験中に義務のように耳栓までしてねむること。それからこれまた義務のように朝の電車でねむること。おきたらイヤな現実がまってるときほどふしあわせなねむりだとおもう。寝ないと起きてからがしんどいという理由でねむらないといけないのもふしあわせだ。
けど、さいきんしあわせなねむりがすくない。かなしいな、とおもう。こころの余裕がないとだめかもしれない。いまのわたしにはあんましこころの余裕がないからしあわせなねむりがおとずれないのかもしれない。