「なつやすみの思い出を語り隊」
8月は、全国的に夏休みのシーズンだ。今でこそ、私の夏休みと言う物は、存在するに値しない物に成り下がっているが、夏休みが年中に置ける最大の行事であった若き頃は、海へ行って、女の子と仲良くなり隊。や、夜の海岸であばんちゅーるをしてみ隊。などを結成し、思い立ったら吉日と、即座に颯爽とバイクにまたがり、夏の171を南に下った物でした。原チャリ4人組とかだったけど。女の子と仲良くなり隊の任務結果は、部外者以外閲覧禁止ファイルに納められているので、ここでは公表出来ない事になっています。これらシークレットな内容のファイルは、あそこのあのへんで、11桁のパスワード数字を入力すると出てくるようになっているのは、みなさん既にご存じですね。
しかし、そんな楽しさ爆発の夏休みであっても、小学生や中学生には、俗に夏休みの宿題と言われる、1点差を追う9回裏阪神の攻撃における横浜の佐々木。ほどに、夢と希望を無惨にぶち壊す物が存在します。そして、その夏休みの宿題をする。と言う、目を覆わんばかりの惨劇の苦闘に、果敢に挑戦を挑む者も、少数ではあるが、確かに存在していました。それら少数の勇者のうち、これまた少数の精鋭は、7月中に全ての夏休みの宿題を制覇し、8月の31日間を悠々自適に過ごしたと言う、常人離れした快挙を成し遂げた者もいました。
しかし、自分を常人と知り、そのような常人離れした行為をする事など不可能。と、早くから悟っていた私とその仲間は、「オレ達は勇者じゃない」との盟約を交わし、5年1組連盟を結成。その名も、夏休みの宿題をブッチし隊(仮称)。7月20日の雷鳴轟くグラウンドの隅で、9月1日の教壇に、白紙のドリルと画用紙を提出する事を誓い合い、それぞれの帰路へと別れて行ったのでありました。
しかし、9月1日が近づくにつれ、次々と脱落する者や、裏切る者が現れ始めました。そして、結局、9月1日の教壇に、白紙のドリルと画用紙を提出した者はいませんでした。そうして、その時味わった敗北感と挫折感は、後の、夏休みの宿題をブッチし隊(仮称)の人生と生き様を左右した事は間違いありません。左右したら真ん中ですが。私の提出した図画、「海と空」は、盟約を破ったせめてもの償いの意志の現れだったのかも知れません。しかし、悲劇はこれだけで終わりませんでした。突然、「中辻くん、阿部くん、山本くん、田中くん」後で職員室にいらっしゃい。と、職員室呼出し。をくらってしまったのである。確かに、「オレ達は勇者じゃない盟約」を結んだのはこの4人だ。しかし、意に反して盟約は崩れ去り、夏休みの宿題は4人共、全て提出していた。何故、私たち4人が呼び出される事になったのか分からなかったが、謎はすぐに解ける事になる。
「どうして4人とも全部同じ答えなの?」
ここより先、詳しくは「おいらの暗い過去大全集」全56巻。をご覧下さい。