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コンピュータ
By.key☆彡 [Profile] [Homepage] [Mail]

 コンピュータの2000年問題は、特に何も起こらなくて良かったですが、これは事前の対応が良かったからなのか、それとも日付が狂ったとしても、それは日付が狂うだけ。な事だったのか。日付が狂うと核ミサイルが飛ぶ。なんてのは、風が吹くと桶屋が儲かる理論だったのかな?とか今では思ったりします。

 それでも、2000年問題で、西暦を4桁で確認するシステムに変更完了したとしても、10000年問題がまた発生しますね。って、その頃にコンピュータが存在してるかどうか分かりませんが。

 話変わって、パソコンは、パーソナルコンピュータの略ですが、これ程までにパソコンが普及するとは、10年前には予想出来ない事でした。PC98の最上位モデルが100万円超えてた時代、パソコンはなんにも出来ない物でしたが、今では色んなトコで大活躍。パソコンは使えて当たり前。な現状です。インターネットでのコミュニケーションも盛んになり、色々な所で様々なコミュニティが生まれています。

 昔は、情報を得る手段はテレビや新聞、もっとミニマムな情報を得るには、近所付き合いと言うのが主でしたが、今では近所付き合いと言う物は希薄な物になっていると思います。私も例に漏れず、近所付き合いなんて皆無ですし、隣に誰が住んでいるか、名前も知りません。町内会とかもあるようですが、その存在している場所すら知りません。が、そんな近所付き合いの希薄さも、特に悪い事だとは感じません。時に、自然に無くなる惜しまれざるべき物は、人の進化の証拠として後世にて語られる事になるのですから。

 そしてその進化の証として、近所付き合いに変わる物、ミニマムな情報を得る手段が登場しています。それこそがインターネットにおけるコミュニティの存在であると感じています。インターネットならば、日本中の人が近所になれます。相談すれば答えて貰えますし、相談に答える事が出来ます。昔の近所付き合いより、はるかに膨大で良質な情報を得る事が出来ますし、普通の近所付き合いのような、存在が近すぎる故の問題も起こりにくいです。

 そんな、時に存在が近すぎる所以の事共を避ける為が故のインターネットコミュニティに置けるコミュニケーションを、人間味の無い希薄な物と捉えるか、進化の証と捉えるか、または全く違う事だと捉えるか、それは人それぞれの観点により違うと思います。が、コンピュータ。パソコンと言うデジタルな媒体に帰属するコミュニケーションに置いても、そこで行われている事は、おおよそ昔の近所付き合いの世間話と変わらない、人間味溢れた物であると言う所が面白い所であり、またこの先何百何千年と人類が繁栄していたとしても、この部分だけは永久不変であるでしょう。

(2000.2.10)

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